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浴衣あれこれ

花火を見る季節になりました。

若人達は花火を見に行くときは浴衣を着てゆくのが恒例の様で、街角で浴衣姿を見かければ何処かで花火大会?

と思えるようになりました。

「ゆかた」浴衣について

本来は広袖(袖口が袖丈と同寸)、寛政(1789~1801年)頃から袖口下のところを飾り縫いしたりする様になる。

湯帷子(ゆかたびら)の略で、もともとは沐浴の際に着た麻の単衣であった。手拭いに対して身拭いとも言った。

室町末期から江戸初期にかけて盆踊りが流行し様々な風流踊りを生み、ついに三代将軍家光(1623~1651年)

の頃には江戸城内で殿様踊りさえ踊られるようになり、見栄えのする伊達模様を染めた踊浴衣(盆帷子)ができ

華やかな揃浴衣は庶民の間にも着られるようになった。(日本風俗史辞典より)

「相応寺屏風」

上記、同時代に徳川義直(1600~1650年)が母の追福のために建立した相応寺に遊楽図屏風が伝えられている。

人々がありとあらゆる遊楽に打ち興じ、太平の世を満喫するさまが繰り広げられている。

この屏風の左端に当時の入浴シーンが描かれていて興味ある作品である。

銭湯で浴衣を着て垢すりや髪すきのサービスを提供した女性で湯女(ゆな)と言う。

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