湯女と丹前(ゆなとたんぜん)

寒い冬、人は暖をとろうとする。 現代と比べ暖をとるためのものがはるかに少ない江戸の頃、人々は丹前という綿入りの着物を着て寒さを凌いだ。 その丹前の歴史は湯女(ゆな)という女性たちから始まった。 江戸時代初期。 江戸、京都、大阪など都市の風呂屋には湯女がいた。 湯女は男性客が入れば、客の体を洗い、垢をすり、髪を洗い、入浴後は茶の湯を進めた。 夕方になると風呂屋の上り場は格子の間の座敷となり、金屏風が立てられた。 そこで美しい着物を纏い化粧をした湯女は、三味線を弾きながら小唄などを唄い、浮世語りに戯れたそう。 江戸の神田にあった数軒の湯女風呂は、承応・明暦(1652-1657)の頃になると、美しい湯女を抱えて有名になった。 さらに寛政(1789-1800)の頃には、公共の遊郭である吉原と相対するほど盛大になった。 中でも「堀丹後守の屋敷前の風呂屋」と言うことで「丹前風呂」と呼ばれた江戸・神田の風呂屋は、そこに通う奴や男伊達の風俗や歩く様が物真似芸となり、その様子が歌舞伎で取り上げられるほどに。 しかし、あまりの評判に、幕府によって制限され、後に禁止された。 同じ地域には他にも、「紀伊国屋風呂」、「桔梗風呂」、「山方風呂」、「追手風呂」などがあった。 「桔梗風呂」にいた吉野という湯女は、 小唄の流派の元祖となり、「紀伊国屋風呂」の勝山という湯女は、旗本奴に人気となった。 勝山の人気は男っぽさに有り、また独自で考案した髪型は武家の奥方にも好まれ結われるようになった。 冬に羽織る綿入りの着物の「丹前」(「どてら」ともいう)は、彼女たちが考案し

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